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〈書動!〉 ~房仙会~
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今は、目に見える道
質問の答はすぐに見つかるし
練習すればするだけ成果が表れる
きちんと目に見える道

それを越えると
見えない道に入っていく
書いても書いても
やってももがいても
進んでいるのかどうかさえ見えなくなる

その道に標をともすのが
師であり、仲間たちなのだ


***

書道といえば、机の前に心を落ち着けて座り、静かに筆を動かすというイメージがあった。
ところが、静岡県三島市で書道を指導されている福田房仙先生のお稽古は

〈書動!〉

教室がざわざわし始めたと思うと、生徒のみなさんが一斉に立ち上がり、福田房仙先生のまわりに集まっていく。
「早く早く」声をかけられ、何が起こるのかわからないまま、起ち上がってついていった。

(何が始まるのだろう?)

先生が、生徒さんの後ろに立って手を添えて、実際に書きながら、お手本の文字のポイントを、説明をしてくださるようだ。手ぶらで来てしまったが、みなさんは、お手本の画像が大きく掲載されている教本や、メモを持ち、ポイントを記録している。スマートフォンで録画している人もいる。

(がーん)
(ちゃんと書いておかないと、あとで自分で書くことができないんだ!)

それにしても、ものすごい熱気だった。
しっかりと立っていないと、一挙一動を、記憶しようというみなさんの気迫で、弾かれてしまう。筆記用具を取りに戻ることもできない。

(覚えられるのか、わたし!)

空いている場所にすべりこんでのぞいていると、大阪教室のお世話役をしてくださっているAさんが、
「先生の左横から見るとわかりやすいから」と、小さく耳打ちしてくださった。
そのとき、私は向かって右の正面に立っていたので、すべてが逆の方向から見ているかたちだった。実際に自分が書くときは、先生の動きを反転しなければならないので、たぶん、再現できない。そのことをアドバイスしてくださったのだ。
もうひとつ、左横で見ていることの大きな意味があったのだが、このときの私には気づけなかった。

(そうか、左横か)

とわかったものの、長机が二列に並んでいる部屋は通路にあたる面積が少なく、先生の姿が見える場所に立つだけでも大変なので、さらに左横の位置に付くなどということは、至難の業に思えた。

先生は、一字を書いたら、次の生徒さんの席へ移動していく。
「早く、早く、ここ、誰の席?」
先生の声が飛ぶ。

ギャラリーとして先生を囲んでいた生徒さんが、あわてて席について、半紙を出して用意する。
次の席は、まだ準備ができていなかったので、
「早く用意しないと、一生、やってもらえないよ!」
などと、笑顔交じりの先生の声が聞こえてくる。

ばたばたと準備をする。
一字書く。
次の席へ。
大移動。
一字書く。
大移動。
さらに、次の一字。大移動。

4月のお手本は「琴書常自楽」という言葉だった。
その五つの文字が、次々に半紙の上に現われていく。
実際は、半紙を六分割した大きさに一字を書くのだが、半紙一枚に一文字を大きく書いて説明してくださる。とてもわかりやすい。
五文字分の実演が終わったら、各自の練習に入るのだろうと思っていたら、そうではなかった。
「あと、どの字?」
などと生徒さんに聞いている。
先生は、席をまわりながら、すべての文字を、生徒の手をとって書いてくださるということがわかった。

生徒のもとには、すべての文字の、大きく書いたお手本が残る。
生徒が15人いたら、15人×5回で、75回の大移動が、めまぐるしく行われるということだ。息をつく時間もない。

〈書動!〉

という字が浮かび、へろへろになりながら、ついていった。
まさか、書道のお稽古で、このように動くことになるとは思いもしなかった。
与えられる情報量も多いので、心身ともに状態を整えておかないと、フリーズしてとんでもないことになると実感した。
すべてを覚えることは無理だと思ったので、何回目かの異動のときに、自分の席に寄り、カバンからデジタルカメラを取り出して、録画をすることにした。
少し気が楽になったとと思っていたら、スマートフォンをかざしている別の生徒さんに、

「今、そんなにいいものがあるのね。でも、録画していると思って安心していたら、頭にぜんぜん入らないからね。ちゃんと記憶しないとだめ。書道は記憶力!」

と言っている先生の声が聞こえてきた。

(書道は記憶力!)

全員が一字ずつの大きなお手本を書いてもらえるということは、すなわち、その数ぶんの先生の説明を聴くことができるということだ。
繰返し、先生の説明を聞いていると、ルールがあることがわかる。

正中線を守ること。
横線は筆の「裏」で書くこと。
横線が複数かさなるときは、だんだん、間隔を狭くすること。一本だけ、長くすること。
同じ形が左右にあるときは、少しかたちを変えて書くこと。
縦線は、下に土台があるときと、突き抜けるときで太さの割合が変わること。
つづけるところ。離すところ。つきでるところ。
文字の成り立ちを考えて、点なのか線なのか判断すること。


などなど。

このお稽古は、初心者のわたしは、対象外だろうと思っていたら、
「ほら! 書くよ!」
と言われて、驚いた。あわてて、半紙をとりだして座る。

(深呼吸)

書くときは、横隔膜を上にあげるように息をいっぱいに吸い込み、息を止めたまま一気に集中して書く と教えていただいた。
さて、筆を持って息を吸い込んだものの、どのようにしたらいいのかわからない。
先生は後ろに立って、手を添えてくださるのだが、

(手の力は、入れたほうがいいのか? 抜いたほうがいいのか?)

先生の筆のままに従おうと、自分の腕の力を抜いてしまうと、魔法のように字は書けてゆくが、なんの感覚も残らず、

(こんなのでいいのか?)

という思いのまま、終わってしまう。
先生と一体になって感じればいいと、理屈ではわかるけれど、実際にはそんな感覚には程遠かった。
ただ、目の前の半紙に、美しい文字が自動筆記のように現われていく。
この時間に、何を感じればいいのかがわからなかった。

(わからない?)

よく考えてみれば、その字を自分で書いたことが一度もないのだ。
その字どころか、どの字もだ。
なにもわからなくて当然だった。

ギフトを受け取ることができる器に、わたし自身が、ぜんぜんなっていないのだ。
焦らないでおこう。
人より何十倍も不器用で、ものわかりが悪い。しかたない。
大きなお手本を書いていただけたので、それで練習すればよいと思って、安心した。

***

お稽古の日は、必ず家で書かなければいけない と先生はおっしゃっていた。

家に帰って、最初に書いた一枚が、その日に習ったことを覚えているので、いちばんよく書けているものだそうだ。
その後、自分で練習をしても、どんどん我流になったり、教えていただいたことを忘れてしまったり、おかしな癖がついたりして、あまりよく書けないことが多いとのこと。

「練習したのに、練習前の字のほうがいいなんて、がっくりするよねー。でも、練習しないとダメなの。自分で書くということがいいのです」

と先生はおっしゃっていた。

(ぜったいに書こう!)

***

お稽古を始める前、半紙をまっすぐに置いて、落ち着いて筆を持つ場所がないから続けられるかどうか心配だと話した私を、房仙先生は、
「廊下はあるの?」「トイレはあるでしょう?」「その気になれば、場所などどこでもあります」
と一喝した。

たしかに、廊下はすっきりと伸び、便座はフタをすれば、ちょうど半紙が置ける。
書く場所がないというのは、言い訳と言われても仕方がなかった。

幸い、自分の机で、半紙を置いて練習できることがわかったので、暗い廊下やトイレで正座をせずにすんだ(笑)
いつでも練習を始められ、いつでも終わることができる。後ろにはベッドがあるので、疲れたらごろごろ休憩もできる。
お手本を横において、さっそく書くことにした。

CIMG0215_convert_20170506183737.jpg

その前に、読み方を調べた。

「琴書常自楽」

教室では、意味も読み方も知らないまま、書いていたのだ。

「きんしょつねにみずからたのしむ」
「音楽と読書をいつも私は楽しんでいます」


お稽古の最初が、この言葉であったことを、とても嬉しく思う。

という意気込みとは裏腹に、書いた瞬間、

(あかんよね)

と思った。
だって、わからないもの。
どのように筆を使ったら、墨の跡が、そんなかっこいい形になるのかがわからない。
文字の形が小さすぎて、「裏」を使っている感覚がわからない。

まるで、運転の方法を知らないのに、車に乗れと言われているみたいだと思った。
大きなカーブもきれいにまわれないのに、いきなりクランクを通り抜けろと言われているみたいだ。
脱輪しまくりじゃないか。
怖い。

教習所に行かなくても、運転できる人もいると思うが、一過程ずつ合格しないと、私には無理だとわかった。
大きな字が書けるようになってからでないと、小さな字が書ける気がしない。

一文字ずつ、でっかく書こうと思った。

先生が書いてくださった大きなお手本と、自分で撮った録画がある。
都合がよかったのは、目の前にパソコンがあることだった。
大きな画面で再生できた。録画を見て、同じ文字を書いた。

しばらくすると、Aさんから、先生のお手本の動画が送られてきた。
先生の後方頭上から、半紙を臨んで撮影したもので、ブレがなく、全面が見通せて、とてもわかりやすい。
月に一度しかお稽古がないので、家で練習できるように、動画の配信や、添削指導がお月謝の中に含まれていると、概要に書かれていた。

一度では覚えられない不器用なわたしには、とてもありがたいシステムだった。
何度も見て、言葉だけではわからなかった筆の動きを覚えた。
逆筆」で入るとはどういうことなのかとか、どうやったら「中太」になるのかとか。
筆の進む速度を見ていると、圧が軽いのか重いのかが想像できるので、なんとなく真似をすることができた。
それでも、わからないところがいっぱいある。
大きな字はごまかせない。どうしていいのかわからなくなり、筆が止まる。

(いきなりは、無理やんな)

一日、一文字にした。三枚だけ書いて終わりにした日もある。
できないことがわかって、それで寝る。

けっきょく、大きな字も、ちゃんと書けないことがわかったが、気がすんだので、お手本どおり半紙一枚に五文字を書いてみることにした。

大きな字を書いている時とちがって、あっというまに曲がり角や行き止まりや終点がくる
よく考えもせず、横線に入り、曲がってしまったあとで、(「裏」を使うの、忘れた)と気がつく。
留めたり、はねたり、続けたりの流れについていけなくて、暴走したまま、書き終えている
集中できなくて、基本のルールを忘れてしまう

そんなふうに練習している中で、気になったことがある。
私は、これらの文字の書き方を、口で言うことができるだろうか? 
いわば「琴書常自楽」のシナリオだ。

どんなことに気をつけて、どんなふうに書くのかを、ナレーションできるだろうか。
できないとしたら、その部分は、ごまかして書いているのだと思った。

口で言えないものは書けないと思ったので、文章化することを頭において、録画を観た。

房仙先生のご説明を聞いていると、「こうきて」というものが多い。
こうきて、こうきて、こう入って、ぶつかって、こうきます」みたいな感じ。
でも、伝わってくる。
その場で筆の動きを見たり、手にとってもらって、からだで覚えるお稽古を実践されているからだと感じた。

ぶつかる」という表現も何度も出てくる。

(どこに、なにがぶつかるのだろう?)

筆を動かしながら、「こうきて、こうきて、ぶつかって…… 」のように説明されている。
線が、見えない壁にぶつかって折れるように曲がる「角」のことだろうか?
そう思って、注意して動画を見たけれど、必ずしも、「角」ではない場合にも、使われていることがあるので、よくわからなかった。

先生は、どういうときに「ぶつかる」と言っておられるのだろう?
どのようなことに気をつけて、筆を動かせばいいのだろう? 

生徒さんたちは、うなずかれているので、周知の言葉なのだろうと思う。
次のお稽古で伺ってみようと決めた。

幾日か、こんなふうに練習をしているうちに、思い出したことがある。

手首の角度だ。

最初に、筆の持ち方は、箸の持ち方と同じだと教えていただいた。
そのときに、手首は、てのひらの付け根の「手根」と呼ばれる部分を前に付きだし、手の甲と腕が「く」の字の角度にすると、手を添えていただいた。
ところが、実際に筆を持つ私の手首は、「まっすぐ」になっている。

(げげ)

どんなに書き方を覚えても、筆の持ち方がちがっていると、運びがうまくいかないと思う。
あわてて修正し、「く」の字の角度を意識したまま、筆を動かしてみた。
なんだか楽に動かせる気がする。「裏」から「表」への面の「返し」がスムーズだ。
録画を確認すると、房仙先生の手首は、どんなときも、きちんと角度が保持されている

ところが、手首のクセが治らない。意識して始めても、いつのまにか、まっすぐになってしまっている。

(なぜか?)

どう意識すれば、このクセが治るだろう?
手首以外の場所に意識を向けることで、自然と正しい形になるような方法はないだろうか? と考えてみた。
実際にいくつか試してみたけれど、よくわからないし、そんなことを考えながら、書道をしている人はいないだろうと思う。
でも、そんなふうにしか、感覚がわからない時期がある。
手首の角度を気にしていると、ほかのことも気になってきた。

肘はどうなっているのだろう?
脇は開くのだろうか?
腰はどうだろう?
足や、膝は?


録画を観たが、手元ばかりを撮っていて、先生の全体の姿を映してるものがひとつもない。
自分の意識が、筆先だけだったことがわかって、恥ずかしくなる
筆先だけで字を書こうとしていたのだ。

(筆先でないなら、どこで書くのだ?)

筆先でもない、手先でもない、腕だけでもない、肩の力を抜いて、きっと、「全身で書く」というのが、答なのだろうと思う。
次の段階では、「心」で書くとか、「魂」で書くとか。

お稽古のとき、Aさんが、先生の左横から見るといいと教えてくださったことが思い出された。
それは、先生のからだの使い方を観じなさい ということだったのだ。
筆さきがどう動いているかだけにとらわれないで、筆を持つ右腕や右肩、左の肩や腰。上半身と下半身のバランス。
どのように力が入り、どのように力が抜けているか。そのようなことを。

(わかったーーー)

わからないことだらけだ、ということがわかった

(困ったなあ)

筆の持ち方(からだの使い方)がわからないというのは、致命的なことに感じる。
このまま練習をしていても、おかしな癖がついてしまうだけだ。

(どうしようか)

それから、もうひとつ。
恥ずかしいことに、筆の洗い方に自信がなかった。
水道水で洗っているが、なんだか、バサバサになっている気がするのだ。

筆の命だという、先のほうにすっと伸びている一本の「命毛
これがなくなったら、筆を交換するときだと教えていただいた。
早くも、「命毛」がなくなっていたらどうしよう。

そんな気持ちが伝わったのか、房仙先生から別件でメールをいただいた。
思い切って、疑問に感じていることをお訊ねしてみた。すると、

「次回、お話します。ゆっくりゆっくり歩んでいきましょう。わからない時は、練習は一時ストップしてください。大丈夫」

というお返事をいただいた。

浜田えみな

今は、目に見える道。
質問の答はすぐに見つかるし、練習すればするだけ成果が表れる。
きちんと目に見える道。
それを越えると、見えない道に入っていく。
書いても書いても、やってももがいても、進んでいるのかどうかさえ見えなくなる。
その道に標をともすのが、師であり、仲間たちなのだ。



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浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。