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枠(わく)を咲(さく)に ~房仙会 5月大阪教室~
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「花」の字が、いちばん顕著に
そのひとらしさを
表しているように感じた
自然界の中でも、花の種類はさまざま

今、私が書く「花」は
今、咲いている私
だから、気負わずに書ける

明日咲く花は、まだ誰も知らない


***

さんずい」が、なぜ、を表しているのか、小学校のころから謎だった。
その謎が解けた。
福田房仙先生が、「さんずい」を書くのを見ていたとき、とつぜん、半紙の上の墨跡が3Dで飛び出してきたからだ。

したたり落ちた滴が、まっすぐに水面に落ち、しぶきがあがるようす。静かに拡がる波紋。
房仙先生の筆が描く軌跡から、水の滴が聴こえたような気がした。はねかえったしぶきがこちらに飛んでくるほどに。


「今、滴が落ちて、しぶきがあがりましたよね!」

と、言ってまわりたいくらいだった。

文字が3Dになるなんて。

はじめて、「さんずい」が「水」だということを実感できた。
同時に、多くの漢字が象形文字であることや、意味を持つかたちであることを思い出した。
かたちにこめられた、かたち以前のすがたを、書家は、紙と墨汁を使い、解き放つことができるのだと感じる

だから、心が動く。

また、「よいものを見る」ということは、上達の秘訣だとわかった。
なぜなら、自分の書いた「さんずい」を見て、滴が美しく落ちていないこと、しぶきが上がる気配がないこと、そもそも美しくないことが、すぐにわかったからだ。

(なぜだろう?)

先生が書いてくださったお手本と見比べて、決定的に違うことはわかるけれど、どうしたら、お手本のような筆致になるのかがわからない。何回書いても違うし、直せない。

そこで登場するのが、福田光孝先生だ。

房仙先生が「呼吸する文字の実演」なら、光孝先生は、「言葉による解説」といえばいいのだろうか。システムでいえば、右上にある「ヘルプ」ボタンだ。クリックすれば不明な点が、ほぼ解決する。

もちろん、房仙先生は、お稽古の前に「言葉による解説」をしてくださっている。
一字ずつ、「へん」や「つくり」などの部首ごと、または一本の線ごとに、どのように始まり、どのように終えるのかを、穂先の角度や面の使い方を中心に、何度もくりかえして説明してくださっている。

「書道は記憶力!」 (房仙先生のお言葉)

なので、覚えていればいいのだが、

〈忘れている〉

そして、房仙先生の書く文字は、筆の勢いや墨の量の違いなどから、線と線が続いたり、かすれたりする箇所が、書くたびに変わる。

(え)

続けるの? 跳ねるの? 留めるの? 
さっきとちがう!

教えていただいた目に見えない法則を見落とし、目に見えているかたちだけにとらわれ、右往左往してしまう

そんな私たちが座る席の間を、光孝先生は黙ってまわっていらっしゃるのだが、まるで生徒の心の中が見えているようにSOSを察知され、近づいてきて的確なアドバイスをしてくださる。
見えない筆づかいを、具体的な言葉で見えるように説明し、手をとって指導をしてくださるのだ。

房仙先生と、生徒の私たちでは、筆の速度が違うことも、同じようにならない原因の一つだと教えていただいた。
初心者ほど、筆の行き先がわからないから、ゆっくりと動かしている。
線は太く、墨は黒く、かすれは出ない。

ある程度のスピード感がないと、出せない線があるそうだ。
光孝先生は、「色気」とおっしゃっていただろうか?(うろ覚えです)
そのニュアンスは、わかる気がする。色気は熟さないと出ないものだからだ。
筆の道すじがわかるようにならないと、スピードは出せない。
わからないまま、スピードだけを出すと、とんでもない字が表れる。
小学生が、お母さんのアイシャドーをつけて、口紅を塗ったみたいに。

***

今回の大阪教室のお稽古で感銘を受けたことが幾つかあるので、書いておきたい。
まずは、房仙先生の書いてくださる お手本が、生徒ひとりひとり違うということだ。

房仙先生の左横に立って、お手本を書いていただいている生徒さんが、「あ!」と声をあげ、「今、〈気〉を感じました」と言うのが聴こえた。
房仙先生は、「今、あなたの〈気〉で書いたの」と、いたずらっぽそうに笑って立ちあがったのだが、笑顔でさらりと言うような簡単なことではないと思う。
でも、それが真実であることを、お稽古を受けている全員が確信していることがわかった。

ひとりひとりのお手本が違うのは、まるごと生徒になって、書いてくださっているからだと

たとえば、私に書いてくださったお手本は、房仙先生が、「福田房仙」として書いたのではなく、「浜田えみな」として書いてくださったお手本なのだ。
いただいたお手本は、今の浜田えみなが、房仙先生くらい書道ができたら、書いている文字。

(まさか)

そんなありえないことが、起こっている。
浜田えみなだけではない、房仙会に所属している百余名の生徒さん全てにだ。

お手本のエピソードは、まだまだ続く。

房仙会では、8月13日に「社中展」というものが行われる。
所属する生徒さんたちが全員出展する作品展のことで、毎月、練習している課題とは別に、作品展用の文字を選び、房仙先生にお手本を書いていただき、指導を受けて作品に挑戦する。
既に、何人かの生徒さんは、文字を決め、先生にお手本を書いていただいているとのことで、先生が紹介してくださることになった。

大阪教室のお世話役をされているAさんが取り組む作品は、短歌だった。
Aさんは、大阪教室の開校以来の生徒さんで、「かな」のお稽古もなさっている。

短歌は、漢詩とちがい、三十一文字の音で成り立っているのだが、かなと漢字が混じっている
短冊に一行で書いたり、音読によって観賞する場合と違い、書道の作品では、視覚的な印象を大切にしながら、読んだときの意味のつながりも大事にしなくてはならない

歌に使われている漢字とかな、句切れの位置をふまえた上で、改行位置によって意味のつながりへ影響があるかどうかを考慮する必要がある。
あわせて、どのような字体を使うことが最適かを調べ、それぞれの文字の大きさのバランスをみて、組み合わせていくことになる。

Aさんの歌を紙に書きおこして、作品のレイアウトを考える中で、上の句に画数の多い漢字が多いことから視覚的に重くなり、バランスが悪くなるという壁にぶつかって、ゆきづまっていた先生に、上の句と下の句を入れ替えてはどうかというアドバイスがあった。その結果、できあがったというお手本を、私たちは見せていただいた。
数日間、Aさんのお手本にかかりきりになっていたと、先生はおっしゃっていた。

お手本を書いてくださるというのは、先生が、その間、お一人の生徒に向き合ってくださるということなのだ
どんなにたくさんの生徒さんがいても、お手本を書くとき、房仙先生は、その生徒さんのことだけを深く感じてくださっている。

***

もう一作品、お手本作品を見せてくださった。
それは、四文字の漢字だった。「半切」とおっしゃっていたので、34.8㎝×136.3㎝の大きな作品だった。
「風」「火」「水」「地」の四大元素を表す漢字だった。
今年の1月から学ばれている生徒さんだ。
これらの文字は、画数が少ないので、とても難しいそうだ。

だけど、 「絶対に書けるように教えるから、覚悟しなさい」と先生は宣言されていた。

無理だという人は、房仙会にはいない。
いるとしたら「自分」なのだ。


そのことが、はっきりわかった。
「無理」という言葉で限界を決めるのは、誰でもない、自分。
それは、ものすごくもったいないことだと、実感した。

正直なところ、社中展のことを知ったとき、4月に始めたばかりで、観賞に耐える作品を仕上げるなんて、私には考えられなかった。
そのうえ、著名な書家の作品ならともかく、自分の字に「額装をする」なんて、とんでもないことだと思った。
作品展のために額装が必要だというなら、貸出用の額があればいいのにとさえ思ったのだ。
だから、福田先生が「初めての人は、一字か二字くらいで」とおっしゃっているのを聞いた時、迷いもせずに「一字」と決めた。

書きたい字を考えるより早く「一字」というを決めた。
それはつまり、自分の限界を自分で「一字」にしたのだった。

さらに、「額装する気がない」と思ったのは、自分の書いた字を、自分自身がまったく評価していない ということにほかならず、自己評価の低さの顕れだと言えた。

四文字にしてもよかったのだ。
短歌にしてもよかったのだ。

書いたことがなくても、「どうしてもこれが書きたいから教えてください」と本気で決意し、そのために必要な努力をしますという覚悟を表明する。限界を決めない。そのための努力を惜しまない。必死になる。

そうすれば、房仙先生は、その可否について、真剣に対応してくださったのではないだろうか。
たとえ、結果的に「一字」を書くことになったとしても、枠の有無によって、そこから先がぜんぜん違う。

枠は自分の中にあり、自分の中でしかない。

そのことに気付いたのだから、変えていきたい。

枠(わく)を咲(さく)に。

***

今月の課題「江山満花柳」の文字の中で、「」が好きだ。

「花」の字が、いちばん顕著にそのひとらしさを表しているように感じた。
自然界の中でも、花の種類はさまざま。

文字はその人の状態をも表すと、房仙先生はおっしゃっている。
今、私が書く「花」は、今、咲いている私。
だから、気負わずに書ける。

CIMG0235_convert_20170515011722.jpg

明日咲く花は、まだ誰も知らない。

浜田えみな

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ようやく出逢えた人、ありがとう。
房仙です。
本当にありがとうございます。

私の言いたいこと
山盛りです。

自分で枠を作って欲しくなんてない!
枠をぶっ壊せ!
と常々話ますが、なぜできないか?
なぜ逃げる生徒がいるのか?

すごくよくわかる文章でありがたかったです。

そうはいっても!
だけど!
だって・・・・。

と言い続ける人は生徒ではいらないと思っています。

このように説得するのも面倒になっています。

だからこそ
ついてきてくれる人だけでいいと考え出してもう長い。

ようやく出会うべき人に出会った❤️
という感謝の気持ちしかありません。

細く長く続けてみてください。
きっと弓代さんにとっても素敵な人生になることでしょう。

追伸
どうしても私には   え み  な という名前がピンときません。

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浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。