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「今ここ」まっしぐら・リセット王子
今、言われたことは、今だけのこと。
それ以外の何にも及ばないこと。
どこにもつながらず、どこにも影響しないこと。

傷つくから癒えることを知る。
癒される歓びと癒えていく過程を力にできる。
「今ここ」だけを受け止め、引きずらないこと。
侵されないよう、
金太郎飴みたいに、セパレートすること。
 

*    *    *

朝、電話がかかってきた。

「あの、Hですけど、リクトくんいますか?」

リクトの友だちだ。家はすぐ近く。毎朝、待ち合わせて一緒に学校に行っている。小学校一年生の時から何度か同じクラスになり、六年生の時も同じだった。
外遊びが好きで、力持ちで背は高くないけど筋肉質のリクトと、痩せて背が高いHくん。休み時間は外でドッジボールをしていたリクトと、体育は苦手そうなHくん。

どこで接点があったのだろう? 

偏差値の高そうなHくんと、スポーツ中継とバラエティ番組ばかり見ているリクトに、どんな会話の接点があるのだろうか?

ゴールデンウィークに家族旅行したというHくんのおみやげは、故宮博物院のキーホルダーだった。
家族で、故宮博物院を訪れるような、アカデミックなおうちなのだ。リクトはそれがどこの国にあるのだかもわかっていないと思う。
ともあれ。

一緒に学校に行く友だちがいるというのは、なんとありがたいことだろう! 
リクトは、待ち合わせ場所で忘れ物に気づき、家に取りに帰ることができる!
また、その時点で気づかなくても、クラスが違うので、借りに行くことができる!
Hくんの体操服。Hくんの体育館シューズ。Hくんの教科書。……

一緒に学校に行っている友だちは、もう一人いる。その子はUくん。Uくんは同じ陸上クラブだ。お兄さんとお姉さんがいるので、ぐっと大人びていて、かっこいい。Uくんも忘れ物なんかしない。

突然だけど、リクトが体育館シューズを忘れたときの話を書いてもいいだろうか?

************************

わたしが帰宅すると、リビングに、半分だけ紐が通された体育館シューズが転がっていた。

(?)

「リクト、なんでこんなとこに体育館シューズあんの?」
「今日、忘れてん」
「え?」
「ひも、通すの、忘れとってん」
「うん」
「火曜日にいるから持っていこうと思ったら、ひも通してなくて、朝、気がついて、やろうと思ってんけど、時間がなくてでけへんかってん」
「え? ほんなら、そのまま持っていって、休み時間にやればいいやん。なんで置いていくの?」
「今日は、ほんまはいらんかってん!」
「え? 忘れたって言うたやん」
「今日はほんまは運動場やったけど、念のために持っていこうと思ってん。休み時間に放送が鳴ってん。“今日は、三年生が運動場で○○をするので、二年生の体育は体育館で行います……” チャララーン……」
「で、どうしたん?」
「Hくんが借してくれた」
「もー。いっつも借りてるやん」
「オレが頼んだんちゃうで。放送鳴ったら、UくんとHくんが休み時間に貸しに来てくれてん」
「なんで二人?」
「二人で来て、“なーなー、25センチと26センチどっちがいい?” って」

(ああ、そうかー。靴はサイズがあるから、誰にでも借りれるものではないのだ)
それにしても。

「どっちがどっち?」
「25がHで、26がU。オレは25.5やから、どっちにしようかなーと思ったけど、26は大きかったからHに借りた」

HくんとUくんは別々のクラスなのだ。
拓海が体育館シューズの紐をセットできなくて、途中で家に置いてきたことを登校時に聞いていたから、放送が鳴って、リクトの靴がないことを知って、二人で誘い合ってリクトの教室に来てくれたのだろうか? ふがいない、うちの息子のために(感涙)

たぶん、HくんとUくんは、もともと仲がいいのだと思う。
中間テストの勉強も、(迷惑だったと思うけど)Hくんの家で三人でやっていた。賢いHくんとUくんに仲間に入れてもらえて、本当に助かった。

****************************


「わー いつもありがとう。ちょっと待ってね」

リクトを呼びに行く。嬉しそうにやってきた。

「もしもしー。なになに? うん。わかった。Uに言っとく。え? いいの? おまえがするの?
わかった。じゃ。ばいばーい」

この電話で、わたしは二つのことに感動していた。

1 かかってきた電話をUくんに連絡すると言ったこと。
2 電話を終わるときは、「ばいばい」って言ったこと。

あたりまえのことかもしれないが、リクトは普通のことがあたりまえにできない子なので、親としては、ささいなことが嬉しい。

(なんの連絡網だろう?)

「リクトー、Hくん、なんの連絡?」
「んー? 今日、休むって」
「えー なんで? 病気?」
「知らん」

(えええええっ!)
(聞いてないの?)

「学校休むって言ったら、病気か何かやろ? “どうしたん?”って聞いて、病気やったら、“だいじょうぶ?”とか、“おだいじに”とか、言わなあかんやん。なんでかなー?って思えへんの?」
「うん。休むねんなーって思って(笑)」

(※▲□××)

同じようなセリフを、どこかで聞いた。

「うん。あかんねんなーって思って」

これは、うちのおじょうさま・コツメ 十歳女子のセリフ。
何が〈あかん〉かったのか。

半月くらい前。
何もすることがないのに、早く目が覚めたコツメは、同級生のMちゃんと遊びたくなった。

「おかあさん、Mのおかあさんに“今日、遊んでもいい?”って電話して」
「なんで、お母さんが電話かけなあかんの? コツメが遊びたいんやろ? 自分で電話して、今日、遊ぼうって言ってみたら?」
「だって恥ずかしいもんーーー」
「なんでー。“今日、遊べる?”って聞くだけやろ?」

(何が恥ずかしいのだか)

放っておいたら、しばらくもぞもぞしていたけれど、電話をかけていた。

「もしもし。M? コツメですけど。今日、遊べる? うん。わかった。ばいばーい」

「どうやった?」
「遊べないって」
「どうして?」
「知らん」
「Mちゃん、理由なんにも言わなかったの?」
「うん」

(あらー)

どうやら、速攻で断られたようだ。
あれれ。仲良しじゃなかったのかな。大丈夫かな。へこんでないかな。Mちゃんは、学校では仲がいいけど、お休みの日に遊ぶほど、コツメの事が好きじゃないのかな。コツメは何か気にさわることを言ったんじゃないのかな。
ちらちらと様子を見るけれど、黙ってテレビを見ているので、よくわからない。せっかく勇気を出して電話したのに、ちょっとかわいそうだ。でも、しかたない。

と思っていたら、電話がかかってきた。

「もしもし。うん。わかった。はーい。ばいばーい」

ニコニコしている。
「Mちゃん、なんて?」
「お昼からやったら遊べるって」
「よかったね」

ふと見ると、パソコンにMちゃんのお母さんからメールが届いていた。
それによると、赤ペン先生の課題をサボッて遊んでばかりなので、「明日は遊んではダメ!」ときつく言い渡していたため、今日はダメだと返事をしたとのこと。横で聴いていて、何の説明もなく断るので、びっくりしたとのこと。午前中に課題を終わらせて、午後からは遊べるので、どうぞということだった。

思わず返信。
リクトも、友だちからの誘いの電話を、“無理”の一言だけで切ってしまうので、横で聞いているわたしのほうが、ハラハラして、あわてて、相手のお母さんにフォローメールを入れたことが、過去に幾度かあるのだ。

Mちゃんと遊べることが決まって、自分であれこれと髪型をアレンジしているコツメ。

「Mちゃんに遊べないって言われたとき、悲しかった?」
「べつに、今日、あかんねんなーって」
「そうなん?」
「うん」

いまどきの子どもって、そうなのだろうか?
遊べるか遊べないかが大事で、なぜ遊ぶかなぜ遊べないかは、どうでもよいことなのだろうか?

わたしなんて、理由もなく速攻で断られたら、

(わたしと遊びたくないのかな。何か嫌われることしたかな。なんで遊んでくれないのかな。わたしだけ誘ってもらえないのかな)……

などと、ぐじぐじ考え続けると思う。

(リクトもコツメも、考えないのか????)
(考えてないみたいだ。サバサバしている)

だとしたら、それはスッキリと幸せなことだな。
今日、遊べるか遊べないかが、明日も明後日も遊べないことにつながるわけでも、好き嫌いにつながるわけでもないのだから。
こんな、あたりまえのことが、わたしには難しい。

たとえば、毎朝、一緒に学校に行っている子に「今日休むから」と電話して、「わかった。ばーい」と切られたら、

(心配してくれなかった……)
(わたしのことなんて、どうでもいいんだ……)

と、自分が全否定されたみたいにネガティブワールドに浸かって、とらわれてしまう。

(なぜだろう?)

ものごとを、「ただそれだけ」で受けとめればいいのに。
今、何か言われたことは、今だけのこと。
それ以外の何にも及ばないこと。
どこにもつながらず、どこにも影響しないこと。
怒られても。注意されても。傷ついても。落ち込んでも。泣いても。腹がたっても。嫌になっても。

だとしたら、とっても、ラクなのになあと、子どもたちを見ていて思った。

自分の子どもが、少なくとも過分に傷ついたりしないとわかったことは、親としては安心なことだ。
しかし。

人を思いやる気持ちを持つことは、これとは別のことなのだ。

「リクト、Hくんが病気だとしたら、心配ちゃうの? どうしたの? って思わへんの?」

*    *   *

はたして次の日。また電話が鳴った。

「もしもし、Hですけど、リクトくんいますか」
「はーい。だいじょうぶ? ちょっと待っててね」

「おお。わかった。でさ、おまえ、今日も休むって、なんかあったん?」
(リクトが進歩!)

「え? キュウセイイチョウエン?」
(急性胃腸炎??? Hくん、どうしたんだろー。かわいそうにー)

「わかった。じゃ、がんばれよ!」
(!)

「がんばってちゃう! “おだいじに” やろー!!」
そばで会話を聴いていたてんちゃんとわたしが、同時につっこんだ。

*    *    *

でも。
“おだいじに”って、よく考えたら 〈誰が何を大事に〉 するのだろう。
イチョウエンできゅーきゅーぴーぴーげっそりぐったりのHくんに、毎日走っているリクトが言うと、走り出せと言ってるみたいだからツッコんでしまったけど、〈病気に負けずにガンバレ〉ということなんだものな。

*    *    *

子どもが傷つく姿は見たくない。

でも、感情の振れ幅があるから、どきどきわくわくがあり、傷つくから癒えることを知る。癒される歓びと癒えていく過程を力にできる。
傷つくことはある。嫌なことも、悔しいことも、悲しいこともあるだろう。
でも、それは「そのとき」だけのもの。さかのぼらないし、つづかない。連動しない。

「今ここ」だけを受け止め、引きずらないこと。
侵されないよう、金太郎飴みたいに、セパレートすること。
それを意識してみようと思った。

ニュートラルでいることがいいのではない。振れ幅は大きくてもいい。感じるほどいい。
でも、「金太郎飴」なのだ。切りはなす。

昨年、ポジティブでもない、ネガティブでもない、ゼロティブ思考を吉井春樹氏のもとで学んだ。

ゼロアートがわかるのは、ネガティブとポジティブを知っているからだ。
傷ついた人だけが、癒えていく力を知るように。

「今ここ」に生きよう。
毎瞬、生まれ変わろう。

子どもたちが、教えてくれた。

(日々リセット?)

毎朝、生まれたてみたいに、注意してきたことを忘れ去っているリクトは、常に  「今ここ」 なのか?

おそるべし。リセット王子。

浜田えみな

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テーマ : 物書きのひとりごと
ジャンル : 小説・文学

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浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。