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治癒とは
治癒とは、
その人がその人である最良の状態へと返っていく力。

魔法みたいに
痛みをなかったものにすることではない。

痛みに気づき、痛みを愛し、
痛みを聞き、痛みをねぎらい、
本当になりたい自分に気づいて、
一体化していく方法だ。

気づかなければ治癒はない。


*    *    *

「ねばり腰」とか「二枚腰」という言葉があるけれど、腰がダメになると、全くふんばりがなくなる。
やりたくてもできないのだからしょうがないけれど、(ま、いっか~)と、ゆるゆるだ。

いいことなのか? 悪いことなのか?

一番できなくなったことが文章を書くことだ。同じ姿勢を長く続けていると、危機感に襲われる。
書きたいことはいろいろあるけど、前みたいにねばれない。
もとより、二枚目三枚目の腰などないし、ギックリ腰も四回目なので、もう、ぺらっぺら。

情けない。

これを、作家 吉井春樹氏から伝授していただいた〈ポジティブでもない、ネガティブでもない、全方位無敵のゼロティブ思考〉で考えると、
「ねばりもふんばりもないので、執着せず、何ものにもとらわれることなく、速い切り替えでサクサク動ける!」ということになる(笑)
それから。

書かないでいると、言葉以前の感覚が育つ。

今まで、
言葉以前の感覚…… の輪郭をとらえ、くっきりと浮彫にし、精巧な標本を作るような作業に夢中だった。どんどんエスカレートしていたのかもしれない。

標本は死んでいる。

そうではなく、生きたまま、言葉以前の感覚をとどめる方法があるのではないかと、幾日もパソコンに向かえない日を過ごしながら思った。

さらに。
痛みとは何か?
癒えるとはどういうことか?
セラピーやヒーリングの本質とは何か?
真理とは何か?
について考えた。

あまりにも痛いから(笑)

多くの人が、痛みを取りたいと思っている。
頭痛や肩こりや腰痛やひざ痛や腱鞘炎や心の痛み。
痛みには痛む理由がある。

(取ってしまっていいのだろうか?)

痛みは、どこか別の場所から飛来したのではなく、自分のからだから生まれている。 

(自分のからだを、切り離し、消してしまってもいいのだろうか?)

痛みが消えるとは、融合していくことだ。境界を溶かして、元に戻していく。
そのために必要なことはなんだろう?

こんなに痛くて、泣きたいのはこっちだけれど、

(痛みは声なのだろうか?)

と気づいてしまったら、

(聴こう)

という気持ちになった。どうせ寝たきりだし。

(何を伝えようとしているのだろう?)
(何をわかればいいのだろう?)

人にもいろんなタイプがあるように、からだの声にもいろいろあるのかもしれない。
痛いからといって、怒っているわけでもなく、悲しいことやつらいことや厳しいことを訴えているわけではなく、普通に世間話をしたいだけかもしれないし(まさか)。

または、緊急停止。
急ブレーキ。
自分では大丈夫と思っていても、ちっとも大丈夫じゃない!ので、自動車教習所の教官のブレーキのように、強制的に踏み込まれる。それがなければ大参事を招くから……。
だとしたら、

(悟らなければ)

サインは、もうちょっと軽めにお願いします…… と謹んで願いたいところだけれど、思い返せば、軽めのサインなら幾つも出ていたのだ(泣)
それでも、動くことができたら、動いてしまうし、やめることなどできない。好きなことならなおさらだ。

(痛みが消えたら?)

速攻でパソコンの前に戻って、カタカタと打ち始めてしまうだろう。
痛みが消えた嬉しさで徹夜も平気だろう。
それ以上に心身が損なわれ続けていたとしても。
痛みがなかったらと考えると、とても怖い。
骨が折れていても、傷口から血が流れ続けていても、なんでもできるのだ。

(痛みがなければ)

それは地獄絵みたいに怖い景色だ。

痛みは、自分にとって一番の大親友なのかもしれない。
取り返しのつかないことになる前に、見捨てないで手をさしのべてくれる。
大親友のいうことは、きかなければね(泣)

では。
一つ一つ、解決していこう。
腰がダメだ。動けない。立てない。痛い。痛い。痛い。

この痛みが消えれば、わたしは何をするだろう?
……
それは、本当に必要なことだろうか?
それができなければ、どうなるのだろうか?
そのためにできないでいることはなんだろうか?

治癒とは、その人がその人である最良の状態へと返っていく力。

ヒーリングや施術はそれを助けるもの。
その人の最良の状態に戻るために「痛み」が必要なのであれば、不要になるまで取れない。
必要な気づきがあるなら、気づくまで取れない。

痛みを取りたいと願うだけでは痛みは取れない。
痛みは自分だから。

治癒は気づきだ。

治るには、治る理由がいる。

治らないクライアントは、治りたくない理由がある。
または、治りたい理由がない。もしくはわからない。本心にウソをついている。

セラピーは、魔法みたいに痛みをなかったものにすることではない。
痛みに気づき、痛みを愛し、痛みを聞き、痛みをねぎらい、本当になりたい自分に気づいて、一体化していく方法だ。
厳しいけれど、気づかなければ治癒はない。

と思ったのは、強がりじゃないざんす(笑)

本質さえわかっていれば、痛みは……。
消えるときも、消えないときも、その人にとって必要なセラピーだ。
治るきっかけの種をまくのは、セラピストの言葉かけ。クライアントはその種を育てる。

*    *    *

今回、わたしに治癒の種をくださったのは、たゆたうさんでの鑑定会に一番に申し込んでくださったかたからのメールだった。

〈ギックリ腰は身体の歪みを自己調整してくれているところなので大丈夫!〉

なんだかんだいって、私は、今回、この言葉で治った。心身ともに。
加えて、ヒーリング関係の先生や友人からの連日の遠隔ヒーリング。

ひょっとして。
ギックリ腰前より、元気になっている(!?)

ご心配をおかけしました。たくさんのあたたかいコメントやお心のこもったメール、ありがとうございました。
ぼちぼちやります。また、よろしくお願いします。

たゆたうさんに申込んでいただいたかたたちの鑑定は、できるだけ早く行います。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
村松先生の表現の会とSBAセミナーは、予定どおり9月9日(日)開催です!

浜田えみな

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テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

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(非公開コメント受付中)

シュタイナーの言葉に「治療とは教育の一環」という内容があります。 それは、人間の肉体が、たんなる物質ではないことを示しています。 クライアントさんのブログ「君が人生の時」に ”ギックリ腰”の体験をとおして向き合った、本当に貴重な”気付き”を 掲載し...
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浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。