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スピリチュアルケア講演会レポート
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「究極のスピリチュアルケア ~生きる哲学~ 」                     

「これ… 今度、講演をするので、よかったら」
京都三条にあるケアルーム(→ブルーバーダー・ホリスティックケアセンターHP)で、
アロマとクレイの施術を受けた帰りぎわに、すっと差しだされたリーフレット。

      -スピリチュアルケアの新たなる可能性を求めて-  

かづみ先生の講演のタイトルは
「スピリチュアルケアにおけるアロマセラピー」…

(スピリチュアル……)


「魂・精神・本質的な・根源の…」というような、人に宿るものとしての見方。
「霊的・超自然的・別次元の」といった「現象」に比重をおいた見方。

置かれた立場や環境により、そのとらえかたは、さまざまで、
まだまだ統一されていないと感じる。

アロマテラピーとスピリチュアル。
アロマテラピーを学び始めたとき、エッセンシャルオイル(精油)の小瓶は、
それぞれの効能が付随する、「瓶」だった。「モノ」だった。
効果効能作用を覚えて、必要に応じて選ぶだけ。

もう少し勉強すると、精油のはたらきは、
含まれる有機化合物の作用であることがわかった。
ラベンダーの精油なら、
鎮静効果や神経バランスの回復作用のあるエステル類の酢酸リナリルが40~45%、
抗感染力や神経・肉体の強壮作用のあるモノテルペンアルコール類のリナロールが35~45%…
というように。

精油の名称がわからなくても、成分分析票を見れば、有機化合物の性質から、
どんな作用がある精油なのかがわかる。
「瓶」は「瓶」ではなく、いろんな可能性や個性を秘めた「魂」をもつものになった。

もっと学ぶと、それは、根を張ったまま自由に動けない植物が、
生存するために身を守る、すさまじいまでの防御機能と、
治癒力の凝縮されたエッセンスだとわかった。
植物の生への執着とも言うべきエネルギー(何にも制限されない本能)が、
わたしたちを助けてくれる。

そうして、精油の「瓶」は、わたしにとって「パーソナル」なものになった。
友だちに会うように、精油を選ぶ。
元気づけてほしくて。ちょっと話がしたくて。そばにいてほしくて。

尊敬する人と会うように、精油を選ぶ。
導いてほしくて。支えてほしくて。渇を入れてほしくて。

精油ボックスを開けると、満面の笑顔や、はにかんだくちもとや、涼しげな目元や、
凛とした鼻さきや、威厳をもったあごさき、個性的な表情が、いっせいに、こちらを見る。
必要な気づきと癒しが、わやわやと、あふれている。
精油たちは生きている。効果や効能以外のプレゼンツをたくさんもっている。

(そういうケア?)

主催を見ると「日本死の臨床研究会近畿支部会」とある。
(死の臨床??? スピリチュアルケアって、なんだー?)

ここで、「スピリチュアルケアってなんですか?」と、聞くことができない「一線」というか
「壁」のようなものが、先生とわたしには、ある。
(かづみ先生は、友人のアロマテラピーの先生で、なんとなく御縁があり… というか、
一方的に、わたしがファンなので、年に一~二度、時間を作ってトリートメントを受けている。
クレイセラピーのワンデーセミナーを受講したこともある。
お客さんでいればよかったのに、アロマを勉強していると話したばっかりに、
自ら苦しい立場に入りこんだ気が…する)

-こんなことも知らないで、あなたはアロマセラピーをしているのか。
スピリチュアルを意識せずに、あなたは、なにをしてきたのか-

という声が、厳しく聴こえて、どひゃーっ。
そもそも、講演する内容を、今、立ち話で聞けるものではない。講演会で聴けばいいのだから。
(家で、ネットで調べよう……)

「スピリチュアルケア」で検索すると、
「緩和ケア」「ターミナルケア」「終末期医療」などの言葉が、すぐにあがってきた。
かづみ先生は、ホスピスのボランティアをされている。
以前、アロマトリートメントを受けたときに、わたしが、瑣末なことで、うじうじしていると

「ホスピスのボランティアでトリートメントしているクライアントさんは、
次に行ったときは、もう、いてへんねん」 

生死のぎりぎりの縁で、トリートメントをしているかづみ先生の前では、
どんな泣き言も消え、背筋が伸びる。

わたしは、かづみ先生のサロンには、苦しいときや、しんどいときには行かない。
会いたいときに行く。
元気です! 充実しています! と笑顔で胸を張れるときに、行く。

講演は、四人により行われる。
かづみ先生のほか、緩和ケア病棟などで、チャプレン・カウンセラーとして、
宗教的な心のケアをされている沼野尚美さんの臨床経験。

一般病院にて緩和医療・在宅医療を担当される吉澤明孝先生の、
代替療法のスピリチュアルケアにおける考察。

多才な活動をしている江原啓之さんの
スピリチュアリストとして十五年間にわたるカウンセリング経験からの
スピリチュアリズム(霊的な哲学)。

面々をみて、やはり、
「ターミナルケア」「終末期医療」「ほかにすることがなくなった、最期のケア」「もう、治らない」
そのようなイメージがぬぐえなかった。
しかも「死の臨床研究会」が主催……。

だから。友人に、講演会のことを話せなかった。
一緒に聴いてみない? と誘えなかった。
一昨年、友人の妹さんがガンで子宮と卵巣を全部摘出した。まだ四十歳だった。
術後に襲ってきた更年期症状と闘い、乗りこえ、仕事への復帰も決まった矢先、
今度は大腸にガンがみつかった。一年半しか経っていなかった。
大腸は全部摘出したが、小腸に取りきれない転移があり、現在、抗癌治療を続けている。

その友人に、講演会のことを話せなかった。
「最期を迎える人のケア」の(ようにしか受けとれない)講演会に誘うことは、ためらわれた。
「死の臨床…」の文字があるリーフレットを渡すことなど、何があっても、できなかった。

ためらったことを後悔する。

「スピリチュアルケア」は、最期を迎える人のケアではなかった!
「スピリチュアルペイン」は、最期を迎える人だけの痛みではなかった!
わたしたち全てが抱えるもの。わたしたち全てが意識するもの。
ケアするためにも、ケアを受けるためにも、大切なのは「哲学」と「人間力」 
「余命の過ごし方は、その人がこれまでに生きてきた姿の沿線である」と、沼野さんが言った。
「人は、生き(てき)たようにしか死ねないのだ」と、江原さんが言った。
今、生きている、今、このときから、すでに意識しなければいけない「哲学」

余命三ヶ月だといわれたら。
どう生きるのか。どう死ぬのか。今、死んでも、悔いのない生き方を、わたしはしているのか。
夫とは? 子どもとは? 両親とは? 友人知人とは? 職場では? 
その人が思い出す最後の自分の行動に、思い残しは、ないのか。
後悔は、ないのか? いたらなさは、なかったか? 笑顔であれたか? …

四人の講演、それぞれに、コアを貫く言葉があった。
雲間にさしこむ光のような言葉、戦慄するような言葉、
全てをまかせて安心な、頼もしく力強い言葉、人生の羅針盤のような言葉。
輝くクリスタルのような、それらの楔を、わたしは、生涯、指針として感じていたい。

-------------------------------------

「スピリチュアルケアの実際」
           チャプレン・カウンセラー 沼野尚美


「本当に信頼できる! と心の底から感じた人に、聴いてもらっているとき、
人は、初めて、自分でも気づかなかったような本心に気づくんです」


沼野さんは言った。

講演は、
① スピリチュアルペインとはどういうものなのか
② スピリチュアルケアは誰によって提供されるケアなのか
③ 資質とは何か
④ 終末期を迎える患者さんのケアの目的について
⑤ 余命のすごしかたについて
⑥ 希望を求める世界について
⑦ まとめ
で構成されていた。

思わず耳を傾けずにはいられない歯切れよい美声、
ときにユーモアをまじえ、ときに切々と訴え、
耳障りよく、よどみのない、誠実でひたむきで清らかな言葉に、
どんどん引きこまれていく。
 
「スピリチュアルペイン」という言葉を、初めて聴いた。

-生き物のなかで、人間だけが、理屈っぽく、哲学的にものごとを考える。
そして、自分の思ったような人生とはいかなくなったとき、自分の存在や意義、
これからの生き方を問い、自分の姿を真にみつめる機会をもつ。
死と向き合ったときに、心の底から叫びをもつ。

どうして、私はこんな思いをするのか? しなければいけないのか? 
…入院時と退院時では、どの患者さんも、表情が違うのだそうだ。
内面の成熟。人間としての成長。

魂の叫びが「スピチリュアルペイン」だと、沼野さんは話された。
病だけには限らず、自分の思ったような人生とは行かなくなった場合の叫び。
思春期・離婚・リストラ・不慮の事故… 
人生のあらゆる場合において、スピルチュアルペインは存在すると。
そのなかで、今日の講演では、病の場合をとりあげますと言われ、講演が始まった。

スピリチュアルペインが、人生のあらゆる場合において、誰にでも存在するように、
スピリチュアルケアも、訓練された人々によって提供されるもののほか、
誰でもが提供者になる。

沼野さんの勤務する病院では、おそうじのおじさんが、
入院者や見舞客、その家族に癒しと元気を与えていた事例があり、
担当者の引継書に名前が載るほどだったそうだ。どういうことだか、想像がつく。
わたしの場合は、おそうじのおばさんだった。
出産のために入院した産婦人科で、産後すぐ、
まだ、一人で動いていいのかどうかもわからないとき、あれやこれやと声をかけてくれた。
おっぱいが出なくて、部屋で一人でマッサージしていたら、アドバイスをしてくれた。
毎朝十時ごろやってきて、なんということはないおしゃべりで気持ちをほぐしてくれた。
病院内のあれこれを教えてくれた。裏の事情にも精通していた(!) 

元気に出産する人ばかりではないだろう。
元気な赤ちゃんを出産する人ばかりではないだろう。
どの人の部屋にも入り、入った瞬間に、空気を感じて、心を感じて、
その人にとって最良なことが、おばさん(おじさん)には、わかるのだ。
相互間で、何かを伝えるものは、言葉ではないと、あらためて思う。

スピリチュアルケアにおける資質とは何か。
医療従事者や各種セラピストは、修得した技術。
その人の哲学、コミュニケーション技術… 

言葉によるもの。
うなづく・抱く・そばにいる・沈黙などの非言語的なもの。

それは、その人の人生からやってくる。
いろいろな体験により、その人からにじみ出る、あたたかい人柄。
才能。能力。さらに、音楽。芸術。霊能力。…… 

「賜物(たまもの)」と沼野さんは言った。
クリスチャンの沼野さんは、
神様からの「さずかりもの・たまわりもの」という意味でつかわれたのだろうか。
それとも、修得するための学びや汗の「結晶・成果」という意味でつかわれたのだろうか。
いろんな人がいろんなものを使って、スピリチュアルケアは可能だとおっしゃった。

さまざまなスピリチュアルペインのうち、
終末期を迎える患者さんのケアの目的は、「心からの魂の叫び」への対応。
スピリチュアルケアとは、
なぐさめ、励まし、癒し、安らぎ、平安、ゆるすこと、ゆるされること、希望。
愛されていることの確信と満足、自分の人生を振り返ったときの満足と感謝、
残された時間に満足のできる生きかたが見えてくるか… 
沼野さんのあたたかな声が、どんどん、ことばを積みかさねていく。

ケアには、形態とレベルがあると話す。
そばにいるだけでもケアになることもあれば、
きちんと答えのでるアプローチを求められることもある。

ケア従事者は、患者が、何を求めて質問しているかを、見極めなければいけない。
たとえば、「淋しい」といわれた場合。
「人恋しい」という場合は、看護士の訪問回数を増やす、
家族の見舞い回数を増やすなどで対応できる。
しかし、「一人で旅立っていくことが淋しい」という場合は…

沼野さんは、実際のケースを話してくれた。
ある患者さんが夜中に目覚めると、家族がつきそってくれていた。
その寝顔を見て、突然、言いようのない寂しさに教われた。
起こせばいいとわかっていても、

(一人で死ぬ寂しさ!)
(まわりは全て生き残る人!) 

その思いが押しよせ、耐えようのない心の痛みに襲われた患者さん。
なぐさめや、手をにぎるなど、人がそばにいるだけでは満たされないもの。
「神様が一緒だよ」ということで、満たされる場合もあると、沼野さんは言う。

また、「なぜ私がガンになったのか?」という患者さんからの問い。
これは、ガン発生のメカニズムを知りたいのではない。
原因の追究をしているわけではない。

ガンになったことが悔しい! 情けないのだ! 
元に戻せないのはわかるけど、悔しい! 「共感」してほしい! 
なぜ私がこんな思いをしなければならないのか! 人生にはどうして苦しみがあるのか! 

ただ、手をにぎるだけでは追いつかない。間にあわない。対処できない。
だけど、苦しみを通して見えるものがある。ガンになったから気づけたことがある。
これは、大事なチャンス! 
このことを、時間をかければわかる人、時間をかけてもダメな人がある。
強制的に導くことはできないと、沼野さんは、言葉をつづける。

ひきこまれるように講演を聴いていて、
(沼野さんは、チャプレンカウンセラーの立場で、お話されているのだった…)
と、思い至った。

緩和ケアでは、それまで患者さんを苦しめていた痛みがやわらぐ。
痛みがやわらぐと、考えてしまう。
ホスピスの患者さんは、将来を考えるのが怖い人ばかり。

わたしたちの「現在(いま)」は、
「過去」と「将来」に支えられて存在すると言われている。

死が近づき、将来を失うと、生きている意味を失い、
「現在」までも失くしてしまう。
だから終末期の患者さんが考えることは、過去への思い。

あんなことを言わなければよかった… 
あのとき、ああすればよかった…という「後悔」
自分のいじわるな気持ちや勇気のなさを悔いる。
つぎに、過去に人から受けた心の傷を思いだして、何度も腹をたてる。何度も憤る。

そして、そんなネガティブな思いで、悶々としている自分に対して、
「おだやかな気持ちになりたい!」「ゆるせない人をゆるせる気持ちになりたい!」と悩む。
「自分は天国に行けるのだろうか?」と言いはじめる。
この世でのできごとを、きれいに清算したい! 赦されたという実感がほしい! 
そのとき、神様の癒しが、平安な気持ちにさせる。人間レベルではないアプローチ。

患者さんをふくめ、多くの日本人は、
ゆきばのない、こたえの出せない自分の悩みを、信頼のできる人たちに癒してもらっている。
聴いてもらっているだけなのに、不思議に、満足することができるのだと、沼野さんは言う。

残された時間に何をすればよいのか。
痛みが軽減されたからといって、どんなことでもできるわけではなく、
制限のあるなかで、何をすればよいのか。

一般的に、余命数ヶ月と言われた時点では、まわりからは、とても元気そうに見える。
いまからでも遅くない! 予定どおり死なせてたまるか!
(元気そうに見える患者に)何かをさせてみたくなる!
何かをしてほしくなる!

最近、余命宣告後に感動を与える生き方をした人の報道が多いが、
実際にホスピスの患者さんたちは、それを観るのが「イヤだ」という人が大半。

「命を削ってでも、やりたいものがある人はいいなと思う」
「そんな生き方のできない自分を、責められている気がする」と。

緩和ケアは、からだの痛みが軽減され、楽になったぶん、
「(何もしないでいるには長く、何かをするには足りない)ハンパな余命」を、
どうすればよいのか途方に暮れる人が多いという。

余命は短いのに、一日が長いという、ホスピス特有の、不思議な現象が訪れる。
病院で過ごす一日。ごはんを食べたら、次のごはんまですることがない。
昼食後、夕食までの時間が長すぎると、多くの患者さんが訴える。
ケア従事者は、したいことをきいたり、あれこれ提案したり、
何かのきっかけを探して、外出や外泊を勧める。
「もういいよ。しんどい。どうして何かをさせたがるの?」
と、言われてしまうぐらい、させてしまう。

余命のすごしかたは、その人が、
これまでに生きてきた姿の沿線であることを、忘れてはいけない。
何かに夢中になり、常に熱く生きてきた人ばかりとは限らないのですと、沼野さんは話す。

信仰を持っている六十代の男性患者さんは、残された時間に、
神様は自分に何をしてほしいと思っているかを祈ったという。

(なぜ、もう何もできない自分に、こんな中途半端な時間が残されているのだろう。
神様は、私に何をしてほしいのだろう?) 

すると、ある日、その答えがわかった。
「妻との和解だったんです。(仕事一筋で家庭をかえりみない)自分は、
妻が不満を抱えているのを知りながら、テレもあり、見てみぬふりをしてきた。
自分勝手に生きてきて、あと、こんなに中途半端で短い時間だけが残っているのは、
妻への謝罪をするための時間なのだと気づいたんです」
沼野さんに、そう打ち明けた患者さんは、次の日、
奥さんに今までのことをわび、感謝の言葉を贈ったのだという。

神様は、わたしに何をしてほしいと思っているのか。
必要とされて生まれてきた使命。
生ある今こそ、全ての人が、真に気づきを求めなければいけない。
(今なら間に合う。でも、明日では遅い!) 

希望。
ある患者さんは「天国はない」と沼野さんに断言した。
「何があるの?」と尋ねると、
「『無』 自分は、死後は『無』だと思っているから」と宣言。でも、本当に死が近づいてくると、
「無では困る」と言ってきたのだそうだ。
「どうして?」と尋ねると
「家族の絆だけは失いたくない」

ある患者さんは、「風になりたい」と言ったという。
沼野さんが「千の風ですか?」と言うと、「いや、五百の風くらいで」
そのかたが亡くなったとき、臨終の声を聴くやいなや、奥さんが窓をあけて、
「風になって、出ていきなさい!」と、叫んだそうだ。

四次元を信じている人、自分の理想の世界をもっている人も増えてきた。
さまざまな人がいるとのこと。
「天国で会おうね」と、「天国で会えたらいいね」はちがうと、沼野さんは言う。

「こんな世界が待っている」と言われたくない、断言されたくない人。
「こうなったらいいな」と思えるだけで癒される人。
「こんな世界が待っているといいな」ではなく、「証拠」を見せてほしいと言う人。
きちんとした根拠や理論を求め、「信じたい!」という思いで必死な人。

死ぬことで、将来や他者を失うのではないと、理解できたら。
死をこえた将来、他者をこえた将来があり、死で、全てが終わるのではないと、
心の底から信じられたら。

過去・現在・将来に支えられたわたしたちの「生」
「死」で将来が失われるなら、「現在」も、ないものとなってしまう。
そうではない。死は何も終わりにしない。
このことを、死に直面した人だけでなく、わたしたちも真に理解し、
信じることで、相互の魂の交流が生まれるのだと思う。

さまざまな人が、さまざまな方法で、さまざまに生き、さまざまに気づく。そこには、哲学がある。
スピリチュアルケアとは、そういうものだろうか。

沼野さんは、チャプレンの立場で、それを伝える。

愛されたい、愛を求める叫びに対して。
「よりそう人は、愛するだけではダメ。
愛されていると『感じさせられないといけない』んです」
どうやって感じさせるのか? 
そばにいるだけで感じるんですと、沼野さんは言う。

「そばにいるだけで、腹がたつ人、疲れる人もいるでしょう? 
存在のあたたかさは、顔の表情に出ています。
患者さんの言いたいことを『聴く』という姿勢にも」

『人は、どんなに苦しいことがあっても、堪えてでも生きようとする』
 と言った人がいるそうだ。

「末期ガンの患者で、病んだ体から解放されたいから『死にたい』
と言う人はいるかもしれないけれど、本心は、生きたいと思っている。
たとえ、表に出る言葉や態度や、どうであろうと、
『本人が生きたいと思っている気持ち』を察するんです」

「本当に、信頼できる! と心から感じる人に聴いてもらっているとき、
人は、初めて、自分でも気づかなかったような、本心に気づくんです!」

「言葉によるコミュニケーションは20%と言われていますが、
20%を軽く考えてはダメ! 
日本人は、言葉でコミュニケーションをとるのが苦手で、
何か言ってあげたいけど、うまく言葉がみつからないとき、発作的に使ってしまう言葉があります。

『がんばってね』」

「その人が聞きたいのは、『がんばってね』ではない! 
その人の心に届くような言葉、その人の本質にかかる言葉、
その人が生きて存在したことを、患者さんは聞きたいと思っています。
そのためには、ふだんからのコミュニケーションが大事。
その人が、生まれてきてよかった! 生きていてよかった! 愛されていてよかった! と、
からだじゅうで感じるようなことば、
それは、その人だけに伝える、ほかの誰にも適用できない、ただひとつの言葉です」

「わたしは、あなたを愛しています」
「わたしは、あなたに感謝しています」
「あのとき、あんなことが楽しかった。ああ言ってもらって嬉しかった」
「あなたのおかげで、わたしがいます」
「あなたの○○が好きです」…

言葉によるコミュニケーションが20%というのは、
ほかに相乗するものが80%あるということ。

まなざし、笑顔、肩を抱く、手をとる、髪をなでる、頬をつつく、
絵を描く、音楽を奏でる、歌う、ささやく、好物を食べる… 
五感のすべてで感じとり、五感の全てで伝える。
その人と自分の、過去と現在と未来をつなぐ。
スピリチュアルケアを支えるのは、信頼。

「ガンになっていないあなたに、何がわかるの?」
「若いあなたに、何がわかるの?」
若いころ、病める患者さんから言われるたびに、沼野さんが落ち込んでいた言葉。
自分も年をとって、素直になれたと沼野さんは言う。
患者さんは、そう毒づきながら「理解してくれる人」を探している。
きついことを言いながら、探している。

「なんで、わたしの気持ちがわかったんですか?」と言われたときの喜び!

講演の最後に、沼野さんが語った言葉。
「日本人は、お互い『悟ってほしい、くみとってほしい』という民族。
言うに言われぬ気持ちを、表現するのも、察するのも、みんなが苦手です。

でも、死を意識した患者さんは、『気持ちをわかってくれる人』に、
最後を託したいと思っています。
二十代ではできなかったケアが、四十代になってできるようになることは、ある。
でも、二十代で、みんな、すでに現場に出ています。
できないことはどうすればいいか? 
それがチームワークです。自分にできないことでも、誰かができる。
互いの働きへの理解、チームどうしの連携と信頼感。
個人的なレベルのケアから、チームレベルのケアを。
一人ではできないことが、みんなの力で、できるんです!」

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「アロマテラピーによるスピリチュアルケアを考える」
                  アロマセラピスト 櫻井かづみ


「ホスピスにいる人は、死ぬのが怖い。
でも、サロンに来る人は、今日、生きることがつらい。
明日を生きていくことが、怖いんです!」


いつも白衣の櫻井先生は、今日は、胸元がシャープに開いたスーツ。
背筋が伸びて、胸が開いて、かっこいい。
胸元のブローチの輝きが、遠くからでも、キラキラと綺麗。

「私は、関西の人間なので、関西弁しか話せないので…」

かづみ先生は、サロンでも、かなりベタな関西弁。
ロンドンのアロマスクールで勉強していたのだから、
英語は、たぶん流暢に話せるはずで(まさか関西ネィティブな発音?)、
友人が、かづみ先生に習っていたのは、大阪でも京都でもなく、東京の学校だった。
関西弁で授業をしていたのかなあ? と、ずっと尋ねたいと思っていたのだが、
解決した。
(関西弁で授業をしていたのだ!)
初めてかづみ先生に会う会場の人は、
厳しく凛とした外見とのギャップに、驚かれたことと思う。

「アロマセラピーによるスピリチュアルケア」 
リーフレットをいただいた日、聴けなかった答。

かづみ先生の講義の導入は、「スピリチュアル」の概念だった。
スピリチュアルは、人それぞれの概念がある。
人のスピリチュアリティは成長していく。
どんな人と出逢い、影響を受けたかが大事だと。

かづみ先生と「スピリット」という言葉の出逢いは、
十五年前、ロンドンにあるアロマの認定校での講義だった。
ここで経験したアロマセラピーの専門的なトレーニングが、
現在、サロン・病院・高齢者施設・障害者施設などで行っている
アロマセラピストとしての活動の基盤となっている。
本日は、その中から、特に終末期にある患者のケースを取り上げ、
具体的な方法や香りとタッチングについて講演された。

スピリットとは(スクリーンに映し出される)
「意志」
「人が突き動かされるきっかけとなるもの」
「意識下、無意識下に関わらず、人が自分の天命を全うする、
または自分の人生の流れを作り出すもの」

アロマテラピーの概念は、
「言語を使わない強力なコミュニケーションスキル」だと言う。
全く言葉を使わないわけではなく、
カウンセリングのときに、自分のことも開示するし、相手のことも話していただく。

施術が始まれば、そこに言葉はない。
鼻腔を通じ、皮膚から浸透し、からだじゅうを循環する精油の作用と、
セラピストの手のぬくもりを通じて行われる、言葉によらないコミュニケーション。 

かづみ先生のアロマセラピーにおけるスピリチュアルケアは、
サロンワークでの「生に向き合うサポート」と、
ホスピスでの「死に向き合うためのサポート」がある。

サロンワークの特徴としての項目が、スクリーンに映し出された。

「サロンワークの特徴」
・ 死の実感より生を意識したもの 
・ 強いストレスと将来への不安 
・「快」の時間の提供 
・ 一時的に本来の自分(ストレスのない状態)への立ち返りを経験 
・ 自らより健康な人生へと動き出すかもしれない 
・ 自分らしく生きていくために「生」と向き合うためのサポート 
・ より良い死に向き合う、将来必要な力へつながるもの 

「ホスピスにいる人は、死ぬことが怖い。
でも、サロンに来る人は、今、生きていることがつらい。
明日、生きていくことが怖い人なんです」

「生きることが辛い。明日が怖い… 」 思わず、戦慄した。
死よりも生が怖いという言葉は、氷の杭が背中に刺さるような衝撃だった。

「終末期のケアの特徴」 
・ 不安・恐怖・葛藤・怒り・絶望など他者には想像できない不安や葛藤 
  それらを乗り越えた境地 
・ 常に死に向き合い、それによって生を意識する日々 
・ アロマセラピーによる香りと触れあいで、短時間でも「快」の時間を体験 
・ 痛み「マイナス」のある状態から投薬による痛みの消失「プラス」の状態へ

ボランティアで訪れ、患者さんの施術をするとき、
少ない情報の中から瞬時に精油をセレクトしなくてはならない。
そのために、精油を選ぶ目安として、状態を三つに分類するそうだ。

精油を選ぶ目安(A~C) 
A心身の痛み(比較的元気。意志の疎通が可能な人)
 痛みを除去するため、鎮痛鎮痙作用のある製油を、
 本人の希望や症状にあわせてブレンドする。
 シトラス・ラベンダー・森林浴のような、本人に香りがわかりやすいものを選ぶ

B自己の存在
 多幸感を感じるもの 抗鬱作用 底辺に感染症予防 うったい除去 
 ゼラニウム・イランイラン・ローズ・カモミール・メリッサ・
 ユーカリ・ティートリー・カルダモンなど。 

C混乱・衰弱期
 好きな香り。 フランキンセンス サンダルウッド パチュリ パイン
 
最後に、先生が体験したケースについて話してくれた。
終末期のケアで、オイルマッサージなど受け入れないと思われる厳格な男性に、
医者からの処方ということで、施術を受けてもらった。そのとき

「あたたかい手がしみとおるようでした」

と感想を言ってもらったことが、
かづみ先生の今日(こんにち)の活動につながっているのだそうだ。

会社勤務をやめ、単身でイギリスに渡り、
「スピリット」とは、いったいなんのことなのか、何を指すのか、
よくわからないまま帰国した十五年前。
かづみ先生のなかで、「スピリット」は、成長・変化し、
セラピストとして活動するうえで、欠かせないものとして、大きく根付き、
今も成長を続けている。

終末期のケアには、「人間力」が必要。
自分にとってのスピリットをもち、成長していくことが、大切だと、
かづみ先生は講義をしめくくった。

もっと、聴きたかった。
スピリチュアルケアにおける「アロマセラピー」を。
人の心は、精油で、どんなふうに癒されるのか。
死への恐怖も、精油は緩和できるのか。

人の心を、やすらぎへ、平安へ、受容へ、気づきへ、導くことができるのか。
植物のもつ治癒力は、成分分析票や能書きの効能効果を越えて、
その人に必要な作用をもたらすものなのか。

教科書には載っていない、現場でたずさわるものでしか聴けない魂の声。
かづみ先生が、現場で体感したアロマのスピリチュアリティを。

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「代替療法によるスピリチュアルケアを考える」
                          医師 吉澤 明孝
 

     
「在宅は死ぬために帰るところではない」

(吉澤先生、かっこいーっ たのもしーっ 本当にそうですーっ!!!)

「和顔愛語」の、にこにこ顔のイラストが大きくスクリーンに映し出される。
ご本人も、恰幅がよく、ニコニコと笑顔。
「どんとこい! 大丈夫!」と、からだじゅうで表現されている。

吉澤先生に会うと、きっとだれでも、
「全てを預けよう、まかせよう、やっと出会えた!」
という安心感と、強い信頼感に満たされるにちがいない。
声が、また、いい!

「和顔愛語」のイラストは、患者さんの遺筆となる作品だそうだ。
吉澤先生は、この言葉を真摯に受け止め、大きくして病院にも掲示しているとのこと。

一般病院の副院長として、内科・ペインクリニック・緩和医療・在宅医療を担当され、
自ら、車で巡回し、患者さんを診てまわっている。
どんなときでも、必ず、その大きなあたたかい手で、患者さんにふれ、励ます。

講義が始まった。
パワーポイントの文字情報は、メモできないくらい多く、
メモできないくらい早く、次々に進んでいく。
会場にいるほとんどの人には、周知のことなのだろう。

代替医療の定義。トータルペインとは。スピリチュアルペインとは。

体の痛みだけをとってもだめ。
心の痛み 社会的な痛み スピリチュアルな痛み。
トータルペイン(全人的苦痛)をとる。
その人の身になって考える。同情ではなく共感。手当。

なんとかメモできたのは、緩和ケアの四つのポイント 
①傾聴 ②共感 ③手当 ④ユーモア

そして、「在宅は死ぬために帰る場所ではない」 
死にに帰る場所にしてはいけない。
死を待つだけの時間にしてはいけないのだ。

吉澤先生は、あたたかな笑顔で話す。
「ターミナルケアといっても、死にたいという人はいない。
スピリチュアルケアができている人は、生きたくなる。
死にに帰るのではない。家族と楽しくすごすために家に帰るんです」


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「私にとってのスピリチュアルケアとは」
          スピリチュアルカウンセラー 江原啓之


「大我であれ」
「幸せとは、恐れるものが何もないこと」
「天職と適職」
「哲学をもつ」
「心をこめる」


テレビを見ないので、かづみ先生からリーフレットをもらったときも、
(この落語家みたいなキモノの人はだれ?) 
ところが、リーフレットを見た人は、まず江原さんに反応するので、
(有名な人なんだ!)とわかり、よくよく聞いて、記憶をたどれば、
「テレビの番組で、美輪明宏さんと並んで、コメントしていた人だろうか?」
と、かすかな記憶がよみがえってきた。

江原さんの講義は、午後1時30分からだった。
このころになると、三人の先生から講義を受け、
「死の臨床研究会」の会員でもなく、医療従事者でない私にも、
スピリチュアルペイン、スピリチュアルケア、
緩和ケア、人間力などのエッセンスについて、おぼろげながらわかってきた。
どの先生も、切りこんでくる角度が違うだけで、到達するところは同じ。

江原さんの肩書にある「スピリチュアルカウンセラー」 
「霊的な」「超自然的な」意味として受け止められることが多いだろう。
江原さん本人は、
「スピリチュアリストとは、魂の存在を信じる人。
自分が幸せであるために哲学をもっていること。これが幸せの原点です」と話された。
江原さんの話を聴くのは初めてだ。どんな話になるんだろう?

ちっとも力を入れずに、ゆるゆると話されているのに、ぐいぐい引きこまれた。

幸せになる道は「大我(たいが)」であること。
大我とは、自分よりも相手のことを考えること。相手を大事にすること。
その反対の「小我(しょうが)」は、相手よりも自分のことを考えること。
自分が優先であること。
そのわかりやすい例が、「気をつかう」
相手のことを思い、気をつかいすぎてしんどいと、多くの人が言う。
気をつかうのは、「小我」なのだそうだ。
「いい人と思われたい!」「自分をよく見せたい」 自分のことしか考えていない。
だから疲れる。
これを「大我」で行うと、どうなるか。
「気がきく」
常に相手を優先していると、あれこれと気がつく。
相手のためを思って行動しているので、その結果や、まわりの反応にとらわれない。

どうするべきか迷ったら、常に大我であればいい。
大我であれば、疲れない。
お金を貸したのに返ってこないと腹がたつのは、
小我で貸した(ケチと思われたくない)から。
自分が、よく思われたいために貸したから、結果に腹がたつし、とらわれる。

大我は、親のような愛。
相手を成長させるために、貸さない(ときもある)。
相手が困っていて、今貸すべきだと思ったら
(返ってこなくてもいいと思って)貸す。
どちらにしても、相手が主体なので、その結果がどうであれ、
自分の感情は翻弄されない。
大我でいれば、大我の人を呼び寄せ、幸せの連鎖になる。
小我は、小我を引き寄せ、ますます苦しくなる。
   !
ソーシャルスキルにおける悩みが、全て氷解した。
そうか、そうなんだ!
まさに、わたしは「小我」で行動していた。
相手のことを考えているようで、
実は「悪く思われたくない」という気持ちが最優先だった。
自分の評価のために動いているから、疲れていたのだ。恥ずかしい。

家庭でも職場でも公の場でも、自分の人生が幸せかどうかは、大我か小我。
すべて大我で決めていれば、悔やまない。
最後までやりぬくことだけが真に正しいことではない。
小我になっていないかどうか。
岐路で、常にチェックすればいい。

「大我であれ」 
素晴らしい指針をいただいた。

「天職」と「適職」についての話も、目の前が、ぱっと開けるようだった。
「天職」とは、自分の理想や心の喜び、魂の喜びを大切にするもので、
そのことで食べてはいけないもの。
「適職」は、自分の能力を提供するもので、お給料をもらって、食べていけるもの。
自分のしていることが、肯定された気がした。
二十五年間、勤めている仕事は「適職」 
セラピーや文章を書くことは「天職」 
同じでなくていいんだ。理想や魂の喜びとは、異なる仕事をしていて、いいんだ!

適職だから、しがらみもある。我慢もある。
楽しいことばかりではないから、お給料を得られる。
それで食べさせてもらっているのだという自覚を持つ。
適職の中に、天職は「こめられる」と、江原さんは言う。

適職だけでは、ストレスがたまって、心の喜びがない。
天職だけでは、理想ばかりで、食べていけない。
経済面、世の中への貢献、自分の喜び、そのバランスをうまくとることが大事だと説く。

スピリチュアリズムは、目に見えない。だから心をこめる。
目に見えない、計れない、心をこめた人にしかわからないもの。
大我をこめることで、幸せな人生がおくれる。
自分自身がどういう哲学をもっているか。
あなたが生きている時間をもっているか。
江原さんは、壇上から問いかける。

最後に、不幸な心をもつ人のルールがあると、教えてくれた。それは、

① 物質的価値観で生きている人。(地位・名誉にしばられていないか?)
② 人とくらべる人 
 (同じ人はいないのだから、比べるだけ時間の無駄。自分の素材を見よう)
③ ぐちを言う人 
 (どうしても言いたければ、垂れながしにせず、理解して行う。
  たとえば、「3分だけぐちる」というように)
④ 冷たい人 愛のない人 ほしいだけの人
 (波長のルールがあるので、類は友を呼ぶ。
  自分がろくでもないとろくでもない人が寄ってくる)
⑤ 中途半端に幸せな人 
⑥ 魔法が好きな人 迷信が好きな人
 (そんなものはない。自分がした努力がそのまま返るのでなければ世の中不公平)
⑦ 心配性な人
 (中途半パに幸せだから、心配をしてしまう。
  心配すると、その方向に行くので、やめたほうがいい)
⑧ 笑わない人 暗い人 
 (想像力がない人。笑顔は大我のサービス。
  1%の愛がわからない人は100%の愛もわからない。
  波長の法則があるので、ひねた人はひねた人を呼ぶ)
⑨ 考えない人 
⑩ 祈らない人 
 (内観とは、自分をみつめること。真剣に祈ると内観できる。
  気づき、答え、智恵を授かることができる)

私たちは、自分を磨くために生きている。
そんなあなたと一緒にいたいと思ってもらえるような人格
(…あなたがあなたとしての魅力)を磨くために生きている。

幸せとは、物質的なものではなく、
しっかりと人生哲学ができていることだと、江原さんは話す。

人はなぜ生まれ、なぜ生きるのか。
仕事とは何か、病とは何か、死とは何か、死してどうなるのか。
心をこめて生きる。大我をこめて生きる。
人生哲学、生命倫理をしっかり自分でもつこと。

これが究極のスピリチュアルケアだと、江原さんは締めくくった。

哲学があれば、病気になっても怖くない。そこに意味があるとわかる。
死の世界を理解し、毎日、思いをこめて生きている。
何かを得ることや生みだすことが幸せだと感じていたら、
失ったときに、即不幸になる。
本当の幸せとは、何も恐れないこと、怖いものが何もないこと。
 !
そのとおりだと思った。怖いものが何もないこと。
それは、哲学を持つこと。

スピリチュアルケアは、余命数ヶ月の人だけのケアではない。
全ての人がスピリチュアルペインを持ち、
全ての人に、スピリチュアルケアが必要だ。
生まれたときから、死ぬことは決まっている。
生きることは、死に近づくこと。
でも、死が通過点だとしたら、ちっとも怖くない。

大我と小我
天職と適職
幸せとは、何も恐れるものがないこと
哲学をもつ
心をこめる

江原さんの講義は、これからのわたしの「生」に、大きな指針を与えてくれた。

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休憩のあと、パネルディスカッションが始まった。
フリーな感じで、四人の先生が、それぞれの立場で
「スピリチュアルケア」を談義するのだと、楽しみにしていたら、
司会の黒丸先生が、それぞれに対して、意見を求めるという形式で進められた。

一人の先生が話しているのを、みんなは黙って聴いている。
黒丸先生の指示がないと、意見が言えない形だったので、
期待していた「アットホーム感」「立場や専門の垣根を越えたフリー感」
にあふれたトークではなくて、残念だった。

もっと、自由な感じで、先生たちのお話が聴きたかった。

それでも、講演のときには聴けなかったお話や、
質疑応答への回答などが聴け、
あっという間に規程の時間となり、皆が壇上を去るのが、とても名残おしかった。

沼野さん
「心によりそう看護 心によりそう関わり 患者さんが和みを受ける。
人と人との愛、思いやりの心は、勇気につながります。
いろんな人格が用いられます。よりよく提供していくことが大切だと感じています。
現場では、コミュニケーション技術が不足しています。
現実社会で、人とのかかわりあいが少ないのです。
ケア従事者が患者さんに対する、『その人の魂を生かすような言葉の欠如』
これが、看護学校の先生の最大の悩みです」

江原さん
「医療従事者は、向上心もあり、学んで考え、努力向上しているのに、
患者側の教育がない。責任・自主性・主体性……。受け手にも哲学が必要です。
何も考えずに生きてきて、死の宣告を受け、
『さあ、何をしてくれるのか?』 と言われても、
厳しいですけど、『人は、生きてきたようにしか死ねません』
としか言えません。
今、日本は1億コミュニケーション不全。 

わたしをわかって! そのままの私をわかって! という人ばかり。
洗って調理をすることに気づかない。 
そのままの自分なんて、下ごしらえをしていない食材と同じ。
失礼です。傲慢です。 
自らも、哲学を持ち、変わらなければいけないんです」

患者さんに、どうしても感情移入してしまい、
泣いてしまうという医療従事者の質問に対して
「医療従事者は、患者に対して『大我』でなければいけない。
感情移入するのは『小我』 相手に対して愛を向けるとき、
自分の感情は小我であることを忘れてはいけません」

自分の技術を提供したいと思うけれど、自分も生活があり、
無償でのボランティアには限界がある。
理想のケアをするには、経費の壁がある という質問に対して
「お金については、天職と適職のバランスを考える。
やりたいことをするために仕事をする、ということです」


「必要とされる人間でなければいけない と思うのは、『小我』です」

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2月21日は、45歳の誕生日。

「お母さんだけがいない!」
「お母さんだけがいない!」
「お母さんだけがいない!」
「リクも、コツメも、おとうさんも、みんないるのに!」
「みんな、いるのに!」
「みんな、いるのに!」
「ばんごはん、レストランに、行ける?」
「うーん。帰りも、遅くなるねん。待ってたら、おなかすくやろ?」
「えーーーーっ レストランに、行けないのっ???」
「行っ、きっ、たっ、いーーーーーーっ!!!」
「帰りも、遅くなるなんて、知らんかったぞ。よし、三人で食べに行こう! お母さんは、駅弁っていうことで」
家族の、大ブーイングを浴びながら、朝早く、米原に向けて電車に飛び乗った。
(ごめんよぉぉーっ)



家に帰ったら、ケーキを買って、待っててくれた。
「はやく、はやく! 食べよう! 食べよう! 待ちきれへんねん!」
「ただいまーっ ごめんよーっ ケーキ、どこで買ったん? 
好きなんあった? 食べよう食べよう、ありがとーーーっ!!!」
「こらこら、おかあさんに、おめでとうは?」
「♪はっぴばーすでー とぅー ゆー」
「♪はっぴばーすでー でぃあ おかーさーん」

ふだんも、仕事していて放ったらかしなのに、
休日の、誕生日にも、家族三人に留守番をさせて、
自分の勉強のために、一人で朝から出してもらって、
家に帰ったら、バースデーを祝ってもらって、みんな笑顔で…

この状態を「幸せ」だと思ったら、失ったとき、不幸せになる。
何かを得ることが幸せだと思ったら、得られないと、不幸せになる。

幸せとは、怖いものが何もないこと。
哲学をもつこと。
小我でなく、大我で生きること。
目の前の人にとって、心の底から信頼してもらえ人になること。
言葉だけでなく、使えるもの全てで、その人の魂を感じ取り、寄りそい、
自分の魂を伝えること。心をこめること。
見えないものこそ、存在している。

「スピリチュアルケア」は、最期を迎える人のケアではなかった!
「スピリチュアルペイン」は、最期を迎える人だけの痛みではなかった!
わたしたち全てが抱えるもの。わたしたち全てが意識するもの。
ケアするためにも、ケアを受けるためにも、大切なのは「哲学」と「人間力」 
「余命の過ごし方は、その人がこれまでに生きてきた姿の沿線である」と、沼野さんが言った。
「人は、生き(てき)たようにしか死ねないのだ」と、江原さんが言った。

今、生きている、今、このときから、すでに意識しなければいけない「哲学」
余命三ヶ月だといわれたら。
どう生きるのか。どう死ぬのか。
今、死んでも、悔いのない生き方を、わたしはしているのか。
夫とは? 子どもとは? 両親とは? 友人知人とは? 職場では? 
その人が思い出す最後の自分の行動に、思い残しは、ないのか。
後悔は、ないのか? いたらなさは、なかったか? 笑顔であれたか? …

四人の講演、それぞれに、コアを貫く言葉があった。
雲間にさしこむ光のような言葉、戦慄するような言葉、
全てをまかせて安心な、頼もしく力強い言葉、人生の羅針盤のような言葉。
輝くクリスタルのような、それらの楔を、わたしは、生涯、指針として感じていたい。

誕生日に、こんなプレゼントをもらった。

                      (ゆ)のことだまセラピスト

 
ちなみに、40歳を過ぎると、誕生日には、プレゼントをもらうのではなく、
自分が今あることに心から感謝をして、支えてくれた人たち、応援してくれた人たちに、
贈り物をするのだそうだ。
本当に、そのとおりだ。心からの感謝をこめて。ありがとう。
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浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。