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虹のゆくえ(吉野弘氏の詩より)
虹のヴェールに手をかざして、
虹の天井をみあげて、
虹の中で呼吸をするように。

まつげや鼻や頬やあごの影までもが、
虹の彩(いろ)になるように。
虹のような笑顔でいる。


*    *    *

おととい、虹にすっぽりつつまれた。
ゆうべ、また、別の虹を見た。

きっと、たくさんの人が、同じように虹を見ているのだろう。
今、このときも。

だとしたら。
その虹が、消えてしまわないように。
もっと特別なものになるように。

虹のヴェールに手をかざして、虹の天井をみあげて、虹の中で呼吸をするように。
まつげや鼻や頬やあごの影までもが、虹の彩(いろ)になるように。
読んだ人が、虹のような笑顔になるように、書いておきたいと思った。

◆吉野弘という詩人

きっかけは、フェイスブックでイベントのお誘いをいただいたことだった。
参加希望のメッセージを送り、その人のフェイスブックページの記事を読み進んでいった。

ふいに、虹に出逢った。

青空の中に、まっすぐ立ちあがる虹。
天弧を描く虹は、地面に近い場所では垂直に近くなるのだった。
アップされていた画像は、山のふもとの家並みに向けて、まっすぐに降り立つ虹のビーム。
家々は、虹の光の中にあった。

〈吉野弘の「虹の足」を思いだしました〉と書かれていた。

*    *    *

吉野弘さんは、わたしにとって特別な詩人だ。

虹を見て、吉野弘さんの詩を思いだすような人が身近にいらっしゃるとは!
本当にびっくりした。
嬉しさがこみあげてきた。

その人は絵を描く人だった。
あんなにあたたかい物語を織り込む人なのだから、やっぱりそうなんだな……と思った。

詩。

絵もない。音楽にのせたものでもない、ただ言葉による表現が、だれかの心の中にとどまっていることを知ること。

それは、言葉による創作を試みている身として、とても勇気づけられることだった。

わたしが吉野弘さんという詩人を知ったのは、1985年に発売された浜田省吾さんのクリスマスアルバムに、「雪の日に」という詩が掲載されていたからだ。

わたしは浜田省吾さんが、ものすごく好きなので、

(省吾さんが好きなものは、どんなものでもわたしも大好き!) 

……という不純な動機だった。
だけど、詩人 吉野弘さんとの出逢いは、文章表現の海に漕ぎ出していく者にとって、標であり、灯だった。帰りつく港であり、進むべき場所だった。
いつも進む先を照らしてくれ、ちぢこまる感情をあたためてくれた。
羅針盤となり、めざす大陸となった。

吉野弘さんの書いているものは詩なので、文章は短い。

文字数だけで言えば、あっというまに読み終えてしまう文章を、どんなふうに大切に、深々と、広々と、味わいつくし、感じつくして読めばいいのか、いつも、読みはじめてから途方にくれる。
ざわざわと音を立てて、心が波立つ。


(こんなのじゃ足りない!)
(感じ尽くせていない!)
(足りない! 足りない!)

と悔し涙が出そうになる。

年齢を重ね、吉野弘さんの詩を読んだときに湧き起る想いが、かわっていくことに気づく。
何度読んでも、初めての場所に響くように。
だから、たった一冊の詩集を、何度でも繰り返しひもとくのだろう。

◆虹の足

「虹の足」

というのは、詩のタイトルだ。

(え? 足?)
(どこが?)
(どこに?)

と思った人が多いのではないだろうか。
両腕を広げるように、翼を広げるように、虹をイメージする人はあっても、まさか、虹の起点と終点が「足」だなんて。
その場所が、虹の足跡だなんて。
想いもよらないだろう。

だけど、大空に手を振り、大地を闊歩する虹の巨人が、あちこちに出向いているから、今日も空にあんなに虹が見えるのかもしれない。
大きな一歩で動き出すから、ずっと見ていたくても、いつのまにか消えているのかもしれない。

「虹の足」という詩は、インターネットで検索すれば、すぐに全文が読める。
詩集も文庫で手に入る。
国語の教科書で読んだ人もいるのではないだろうか。

虹が立つ光景をどこかで目にするとき、その下にある町で暮らす人々が、薄く透けた虹の中にいるように見えることがある。

けれど、そのことに気づいて、空に手をかざし、走り回り、虹をいっぱいに浴びて、顔を輝かせている人はいない。
その下に住む人は、いつもどおりの日々を、坦々と生きている。

最後の部分を抜粋する。

(前略)

多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。

そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

(吉野弘 「虹の足」)


*    *    *

(他人には見えて、自分には見えない幸福)

目をこらし、腕をのばし、まわりをみわたし、今、虹の中にいることに気づくこと……
どこか遠いところで、誰かが見ている虹は、自分から起ちあがっているかもしれない。

いつも自分は虹の足跡にいる。

◆虹のゆくえ

そんな気持ちで詩集を開いたら、「奈々子へ」という詩だった。
気になったフレーズを抜粋する。

(前略)

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
人でなくなるのは 
自分を愛することをやめた時だ。

自分を愛することをやめる時
ひとは
他人を愛することをやめ 
世界を見失ってしまう。

自分があるとき 
他人があり 
世界がある。

お前にあげたいものは 
香りのよい健康と
かちとるにむずかしく 
はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ。

(吉野弘 「奈々子へ」)


(……)

虹が連れてきたものは、このこと? 

自分を愛することをやめると、世界を見失ってしまう。
かちとるにむずかしく、はぐくむにむずかしい、自分を愛する心。

(虹につつまれながら、浴びつくしたいもの)

そんなことを、ゆうべ、しみじみ想っていたら、今夜もまた、フェイスブックで虹に出逢った。
そのかたも、大好きな画家さんだ。
お友だちからすてきな虹のカードをいただいたそうで、「虹は境界線を越える魔法」と結んでいた。

*    *    *

世間に、虹があふれている。

自分を愛する心で、のしのし歩く。
行く先々に足跡をつける。

見えなかった虹が、いつもそばにある。
いつも、虹の足跡にいる。

自分には見えない光の中で。


浜田えみな

前にブログで書いた吉野弘 → ★★★
今だったら、こんなふうには思わないだろうと思うことが書かれている。

省吾のコンサートレポートで登場した吉野弘 → ★★★
過去からのメッセージが、いたるところに届いているのだと思う。

虹を見て吉野弘の詩を思いだす画家さんとは → ★★★

申しこんだイベントとは?
体験レポートいたします。浜田半島に初上陸の予感。場所は「耳」
きっと、みみより日和。

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テーマ : 物書きのひとりごと
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

浜田 えみな

Author:浜田 えみな
こんにちは! ブログに来てくださってありがとうございます! H11生まれの長男と、H14生まれの長女の二児の母です。文章を書くことが好きなので、フルタイムで仕事をするかたわら、あれこれ書いています。H26年8月に薦められた短歌にハマり、現在その世界観を模索中です。よろしくお願いします。